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超一流と凡人(マスコミ)

2003711

宇佐美 保

 ヤンキースの松井選手は、最近では、ヤンキースタジアムで満塁ホームランをかっ飛ばしたり、ア・リーグ週間MVP獲得したり、オールスター戦(7月15日・シカゴ)ファン投票のア・リーグ分第6回中間発表では、外野手部門で2位へ浮上したりと、更に、月間最優秀新人に選出されたりと大活躍です。

 

 ところが、少し前までは、松井選手の打球は内野ゴロばかりの有様でした。

ですから、雑誌AERA2003.6.16)では、「編集委員 西村欣也」との署名で、アメリカでの松井非難を紹介しながら、次のように書かれていました。

 

 ヤンキースタジアムでのゲームが終わると、松井秀喜は地下のロッカールームに引さ上げる。そこで、まずト米国メディアに囲まれる。

およそ15分、質問がなくなるまで、彼は丁寧に対応する。

 それが終わると、日本のメディアが待ち受ける別室に出向く。質問が重複することがあっても、彼は嫌がるそぶりを見せることもない。その顔には穏やかな、と形容してもいい笑みさえ浮かんでいる。

(中略)

 とにかくホームランが出なかった。

 57日のマリナーズ戦で3号本塁打を放ってから、足踏みが続いていた。5月はこの本塁打1本で終わり、6月に入ってもアーチの予感とは、まだ縁遠かった。日本では94年の103打席本塁打なしが最長のプランタだったが、それも「更新」してしまった。

ニューヨークのマスコミもしびれを切らした。

ニューヨーク・タイムズが打球が上がらない松井を椰放して「グラウンドボール・キング」の見出しを立てた。

ニューズデーは「さびついた門のようなカのないスイング」とバツシングを始めた。

 さらに名物オーナーの毒舌が追い打ちをかける。

「あんなにパワーのない選手と契約した覚えはない」

 スタインプレナー・オーナーの発言がデイリーニューズーズに載った。同オーナーはその後、「ホームプレートに近づいて立ってみれば、と言っただけ」と発言を修正したが、松井にニューヨークの厳しい視線が注がれていることに変わりはない。

(中略)

 さらに言えば、「いい人」であることを休むべき時かもしれない。

 イチローの1年目。マスコミヘの対応は友好的とは言えなかった。

日本のメディアは代表取材だけ。米国メディアはロッカールームで彼を因むことは可能だったが、イチローは常に壁に向かって座り、質問者の目を見ることはなかった。

「あれは、禅の作法かい」

 アメリカ人記者に聞かれて困った思い出がある。

 松井は「いい人」を演じているわけではない。毎試合後設定される会見を当然のことだと思っている。それでも、しゃべりたくない日もあるだろう。

 黙り込むことで、自らの中で、戦いに必要な炎が点火されることもある。勝ち抜くために、ワルであってもいいと思う

 

 この様に、西村氏は、松井に対して、試合後の記者会見で「黙り込む」ことを推奨しています。

ところが、西村氏の同僚(朝日新聞記者同士?)の吉岡英児氏は、117日付の朝日新聞では、「黙り込む」引退直前の横綱貴乃花を以下のように非難しています。

「だんまり」はプロの態度か

相撲人気の低迷打破に相撲協会は、「新サービス」としてiモードでの情報提供を始めたが、ファンのことを考えるなら「真のサービス」はまだまだである。たとえば「だんまり」を続ける貴乃花。この態度、プロとしての自覚があまりにも足りないのではないだろうか。進退がかかった場所でのけが。

2日間土俵を休み、横網としては49年ぶりの再出場。快復具合や心境をファンは当然知りたいはずだ。それを無視するのは、ファン軽視と思われても仕方がない。

欧米のプロスポーツが隆盛を保っているのは、ファンを大切にするという金科玉条を守っているからだ。選手がインタビューを拒んだらペナルテイーを受ける。ゴルフのメジャー大会では、1時間以上もかかる優勝者インタビューの後に、2位の会見がある。悔しさに飛んで帰りたい気持ちを抑えて誠実に答える。

 それも、プロの興行が成り立つのは「ファンの存在があってこそ」と全員が考えているからだ。

 「品格」を誇るべき横網がこれでは……。

 

 そこで、別文「マスコミも構造改革を」で述べた事を抜粋します。

 例えばテレビや週刊誌などには、多くのインタビュアーが登場していますが、そのインタビュアーの「格」がインタビューの内容を左右する一翼を担っていることは明らかです。

ところが残念な事にマスコミ界での「ぶら下がり」(とお呼びして宜しいのでしょうか?)の方々には「格」を欠く方が多いようです。

この端的な例として、数週間前の「週刊現代」の記事を思い出して見ます。

長野オリンピックの金メダルに続いて、ソルトレークでも銀を獲得した清水選手から、コメントを取ろうとして、「ぶら下がり」の方々は競技終了後の清水選手を“何か一言をお願いします”と叫びつつ駐車場まで追いかけても清水選手は黙したまま、 “読売新聞ですが、何か一言を”と叫んだ人には、“なんですか?読売新聞て?”と答えた清水選手を、「週刊現代」の記事の中では、“清水選手はプロとなる適性が無い、プロはもっとマスコミに配慮が必要だ”と偉そうな事を書いていました。

この「週刊現代」の記者は何か勘違いしていませんか?

私達は、ニュースステーションでの長嶋美奈さんによる、或いはNHKでのインタビューから聞かされた清水選手のスケートへの熱き思い、練習へ打ち込む態度、腰の怪我との戦いそれらの背景を知れば、競技後に“何か一言を”と頼まれても、とても一言では表現できない数々の思いが清水選手の心の中を渦巻いていた筈です。

ですから、私達は、そのような清水選手からの競技後の一言を望まなくて十分なのです。

そして、清水選手から彼の心の内を披露して頂くには、「格」を有した人物が応接するのが礼儀と思います。

 この点は、大リーガーのイチローにも当て嵌まります。

私達は、イチローの一言コメントよりも、じっくりしたインタビューから聞き取る事の出来るイチローの偉大さを感じる事が楽しいのです。

 

 この様に、超一流選手を取材するマスコミ人達と選手達との「人間としての格」が余りにも違いすぎて、的はずれな記事が紙面に氾濫しています。

 

 そんな記者達の記事よりも、私は、トーレ監督の松井選手への談話が好きです。

先ず、松井を迎えて、「松井にとってすべてが新しい環境なのだから、対戦するチームもピッチャーもすべて初物ばかりのはずだ。われわれ首脳陣もファンもマスコミも辛抱強く、彼を待たなければならない。カギを握るのは忍耐だと思う」と語りました。

そして、トーレ監督はその言葉(忍耐)通りに松井の爆発をじっくりと待ちました。

打てない時は、守備を誉め、走塁を誉め、空振りをしない事を誉め、その為ヒットエンドランなどへの適応力を誉め、何とか走者を進めたり、ホームへ帰したりと野球に対するセンスを誉め……

そして、ヤンキースタジアムで、満塁ホームランデビューを飾った後には、彼をなんと四番に据えたりしました。

でも、松井選手がトーレ監督の期待に添えないと、トーレ監督は松井選手の人格を誉めました。

「四番で活躍出来なかった後、彼は監督室に来て “期待に添えずにすいませんでした” と、頭を下げた、こんな選手は初めてだ」と。

又、スタインプレナー・オーナーの発言に対しては、「松井は十分な活躍をしている」と松井を庇いました。

 

 そして、最近の松井の活躍を喜びトーレ監督は、“皆さんも、松井が、並みの選手でない事が判ったでしょう”と語っていました。

更には、週刊文春(2003.7.17号)には、李啓充氏が次のように書いています。

先日、スポーツ専門テレビ局ESPNのインタビューで去年と今年の戦力の違いを聞かれたトーレ監督は、ただ一言、「松井」と答えた……トーレは「状況に応じたバッティングをするのが素晴らしい」と松井を絶賛した……

このように評価してくれる監督の下でプレーに打ち込める松井選手は幸せと存じます。

 

幾多の名選手を排出した名門ヤンキースでは、早晩ジーターの2番と、トーレ監督の6番が永久欠番となって1桁台の背番号は全て永久欠番となってしまうだろうと言われています。

 

 しかし、中には、“強力選手ばかりを揃えたヤンキースでは誰が監督をやっても優勝は可能、トーレ監督が偉いわけではない”と言われる方もございます。

 

 そこで、この名門ヤンキースに絡んで思い浮かべるのは、日本の名門巨人軍です。

その巨人軍の元監督の川上氏の逸話を、氏と選手時代一緒に活躍した青田昇氏(「サムライ達のプロ野球」:文春文庫)は、次のように紹介しています。

「俺は何が悔しいって、V9ONが居たからで来た、あの二人がいれば監督は寝てたって勝てると言われるのが一番悔しいんだよ。確かにV9を果たしたのは運もあった。ONの力もあった。だがそれだけではないはずだ。……」

 

この川上氏の悩みを払拭するが如くに、ヤンキースに次いで年俸総額で大リーグ第2の高給取り達の錚々たるメンバーを揃えたメッツは、現在ナショナルリーグの最下位です。

 

 ですから、やはりトーレ監督は永久欠番に値する名監督なのでしょう。

 

 そして、この名監督のもと松井選手は、よりより大きく成長して行く事が期待出来ます。

 

 ところが、成長を続ける松井選手に関しての報告は、格の違うマスコミからは歪められた形で送られてくる事になるのでしょう。

 

なにしろ冒頭に引用させて頂いた、西村氏の「勝ち抜くために、ワルであってもいいと思う」とのアドバイスは、全く松井選手に関しては的はずれと私は思うのですから。

ご存じのように、松井選手の御祖母様は「瑠璃教」の初代教祖様です。

松井選手の信条には、「野球に於いて、勝ち抜くために、ワルであってもいいと思う」等は決して無いと私は思います。

松井選手の信条は逆だと思います。

ワルの状態で野球選手として成功する」事には松井選手は全く価値を見いださないでしょう。

「いい人」であり続ける中で、野球での成功を模索する事にこそ、人生の意義を認めているのだと、私は思います。

 

 事実、先の週間文春の「松井秀喜のメール日記」には、大リーグで蔓延している薬物使用に関して、「僕はやっぱりそこまではできない。人間性を失ってまで、やろうとは思いませんね。……」と書かれています。

 

 この松井選手やトーレ監督のような超一流人に対して、彼等を取材し記事を書いているマスコミ人達の人間としての格が余りにも違い過ぎるのに、常日頃、私は辟易しているのです。

特にマスコミ人は、自分たちが所属している団体の規模が朝日新聞などと超一流である事で、自分自身までもが超一流であると勘違いしているのが間違いのもとなのです。

マスコミ人は、もっと己自身の分を知り、更には、日頃から己自身を磨く事により精を出すべきと存じているのです。

 

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